音声は崩れる.
私たちが日本語を話している時でさえ,崩れまくる.ただ,気づいていないだけ,ということがあります.
「言ってたよ」
下線部の「言ってた」は/itteta/ですが,私の世代の友人は「いっつた」([ittsɯ̥ta])のように発音することがあります([ɯ̥]は無声化された「う」の発音)。よくふざけてこのことを「いっつた?」とおうむ返しに指摘したりしたこともありましたが,よく耳にする言い方だったので,会話ではわりと頻繁に観察される発音なのではないかと思います.この「いっつた」のような日本語が「崩れた音声」です.
こうした現象でおもしろいのが,崩れていても理解されるということ.
話している当人は,音が崩れているとか細かいことはわかっていないことも多いけれど,それでも話し手の多くは「これくらいなら聞き手もわかるだろう」といった感覚は持ちあわせているのではと思うことがあります.はたから見ると,ペラペラはやく話していて何を話しているのだかわからないふたりの会話も,会話に参加している当人たちはきちんと聞き取って理解している.いろんな知識を共有しているふたりだからなしうる御技ですが,同じ言語の話者でも,こういうことは結構あるように思います.こう考えると,話し手というのは「どのくらいまで崩れたら通じないのか」という感覚をある程度は持ち合わせているのではないかとも思います.
ところで,私も英語を話す際,形を意図的にまたは意図せず崩すことがあります.仲良くなった人に対してだったり,カジュアルな雰囲気の時が主ですが,形を省略したり音声を崩したりします.
例えば,なにか様子がおかしい人に声をかける時,こんな風な表現を使いますよね.
Is there something the matter with you?
丁寧な言い方なので,道を歩いていて調子が悪そうな人には使うかもしれません.が,同僚に対してはどうでしょう.私だったら頻繁に言葉をかわす英語話者の同僚にはこのような言い方は絶対にしないと思います.
Something the matter with you?
仲のよい同僚には,おそらくこのように省略し,少なくともfull sentenceでは言わないと思います.さらには…
Something the matter?
と,with youさえ言わないことも十分に考えられます.さらに…
Something the matter?
といった具合に,somethingの発音を崩して[ˈsʌm̩ ðə ˈmæɾɚ]のように言うかもしれません.
日常的に,社会的ななにかを意識したインタラクションを続けていると,こういうことはなんとなくできるようになると思っています.私の場合は英語音声学が専門ということもあって,意図的に崩した形を使ってみたり,また,おしゃべりするのも好きなので,いろいろやっているうちに,「この感じの話し方なら周りの人たちに何を話しているか悟られないだろう」と思って話し方を調整することもできるようになったりもしました.おかげで英語母語話者の同僚からはそれなりに厚い信頼をされています(ギクッ!!本当は信頼されているのかはわかりませんが,少なくとも私はそのように思っています!!).
身の回りの音声(形式)の崩れ,意識してみるとおもしろいかもしれません.
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