【私の英語学習グラフ】英語教師になるまで


2011年にanfieldroad先生のブログでやられていた企画の「私の英語学習歴」.今更ですが,私も似たようなことを書いてみようと思います.名付けて「私の英語学習グラフ」(笑).

※ 「グラフ」= -graph = 書いた[書かれた]もの, 文字, 記録(『ウィズダム英和辞典(第4版)』)

 

小学校

英語が必修教科になったり外国語活動も行われていなかった時代の人間なので,小学校の教室で英語に触れた記憶はありません.しかし,5年生か6年生の頃だったと思いますが,親が市で募集していた「国際理解講座」という無料の英会話付き異文化理解教室に応募して,当選したので週1回,市役所の近くの教室に通っていたのを覚えています.英語ネイティブの先生が簡単な英語のやり取りをカードなどを使いながらやってくれて,参加した生徒は英語名が与えられて私はThomasという名前だったのを覚えています.この講座に参加してとりわけ英語ができるようになったという実感は全くありませんが,毎回緊張しながら授業に参加していたように思います.英語でやり取りするって難しいんだな!と思いました.

 

中学校

地元の公立中学校に進み,教科として英語が始まるというのが入学前の密かな楽しみでした.最初の英語の授業では,担当されていた先生が激怒されていたのを覚えています.シャッフルされたアルファベットのカードを班で順番に並び替え,一番はやく並び替えて前に持ってきた班が勝ち,というゲームをやっていました.当然盛り上がったのですが,ある班が,床に一枚のカードを落としてしまっているのにも関わらず前に持ってきてしまったため,「先生が「本当にそれでいいのか…本当にそれでいいのか…」と何やら神妙な表情で呟きはじめ,しまいには「勉強をなめるな!!!!」とカードを地面に叩きつけ,教室がシーンとしてしてしまったのを覚えています.「中学校の授業はおそろしいな」と思ったものでした.

残念ながら中学校の英語の授業の細かい記憶はこれくらいしかありません.1年生の後半くらいから周りの友人が塾に行き始め,何やらよくわからないうちに塾に入ることになりました.塾では確か『新中学問題集』のようなテキストを使って,毎回演習問題などを解いていたように思います.主に国・数・英をメインにやっていましたが,3年生くらいまではしっかりとやっていなかったように思います.高校受験を意識した3年生の頃に,ようやく少しだけ「英文が読めるぞ!」と思うようになりました.それは,高校受験のために文法テキストを一から読み直した経験が大きかったような気がしています.

高校

高校は当時居住していた学区(当時は学区制度というのがありました)で2番目くらいに偏差値が高いとされていた都立高校へ進みました.英語Ⅰの先生はとにかく小テストをやってくれたのを覚えています.教科書はOne World.確か最初のレッスンの第一文目はFoods like hot dogs and hamburgers are fast food.だったような… 先生はとにかく「予習してきて!」と仰っていました.高校1年時は,教科書に直接メモを書き込み,ノートにも他のことを書き込んでいました.2年生になって,時間をかけて予習をするようになりました.予習といっても単語を調べたり,教科書本文をノートの左半分に1行くらいずつあけて写すというレベル.だんだんと億劫になってきてしまい,2年生の後半からこのスタイルをやめてしまいました.この類の予習は結構大変で,私の場合は,声に出して読むことの方がまともな予習になると信じていました.ということで,予習は単語を調べるのと音読程度.授業では再び教科書に書き込むスタイルに.予習が大切なのは理解していましたが,一生懸命予習ノートを作っていた頃の私は手段が目的化していたような気がします.英語教師になった今もこの時の自分と同じような学習者を見かけることはよくあります.

あと,この頃は辞書で単語を調べる際は,発音記号をすごく意識していました.実際に聞く音と綴りと発音記号を一致させる程度ですが.

高2の後半から大学受験を意識するようになりました.同じ陸上部に所属していた友人が校内模試で英語の成績が1番だったため,この頃から彼にいつも英語の勉強のやり方を聞いていました.彼のやり方は非常にシンプルで,予備校にもいかずひたすら自分で参考書などをこなしていくというものでした.「うちはお金がないから」とよく言っていましたが,通信添削のZ会とNHKラジオ講座(2番組)を聞いていたとのことでした.東京外国語大学が第一志望ということを聞いて,私も啓発を受け同じ大学を目指すことにしました.

この頃の私は「将来は考古学者か言語学者になりたい!」などと思っていました.グラハム・ハンコックの『神々の指紋』とか浦沢直樹の『マスターキートン』,テレビ番組では「世界不思議発見」などに影響を受けていました.「ロゼッタ・ストーンにあるような古代文字を解読したい!」みたいな幻想にかられており,考古学や言語学に興味を持ったのでした.というわけで,もっぱら好んで勉強していたのは英語と世界史.

友人同様に予備校などには行かず,Z会の通信講座をはじめました.また,NHKラジオ講座の「英会話入門」(遠山顕先生),「英会話」(大杉正明先生のちマーシャ・クラッカワー先生),「やさしいビジネス英語」(杉田敏先生)の番組も聞き始めました.確か一番遅い時間帯の再放送(22:00くらい?)を聞いていて,いつも眠気と戦いながら聞いていました(陸上部だったので,練習後の疲労感がすごくありました).念のためにカセットやMDにも録音し,聞けなかった番組は休みの日にまとめて聞いていました.スキット(ビニュエット)に出てくる表現はとにかく真似をして呟いていました.

大学受験用に使用した教材は『速読英単語』の必修編と上級編でした.風呂場には『風呂で覚える英単語』(通称「風呂単」)という単語帳も置いていました(笑).とにかく単語をたくさん覚えなくてはと思い頑張りました.読解はZ会の通信教材だけでは不安だったので『中澤の難関大攻略英語徹底長文読解講義』という参考書がいいと誰かから聞いて読んでいました.夏休みにはECCの夏期講座に一週間だけ通ったりもしました.

東京外国語大学独語専攻,早稲田大学教育学部英語英文学科,中央大学文学部西洋史学科の3つを受験し,第一志望の外大は落ちてしまったので,早稲田教育の英語英文へ進学しました.大学受験までの英語学習を振り返ってみると反省はたくさんあります(例えば,外大対策の自由英作文の練習はあまりできていませんでした)が,読解とリスニング学習に関しては割といい学習ができていたのではないかと思います.色々とやりましたが,どんな素材であっても丁寧に辞書や文法書を参照しながら自分のペースでブツブツ呟きながら読んでいくというのが最も自分に合っていたと思います.

大学・大学院

大学の英語英文学科へ進んだ私は,勢い英語部(ESA)へ仮入部しました.新入生に課せられるレシテーション・コンテスト(暗唱大会)というものに出場を促され,参加することにしました.暗唱素材はリンカーン大統領(Abraham Lincoln)のゲティスバーグの演説(Gettysburg Address)でした.所属しているグループ(確か週で分かれていたと思います)で練習をし,各グループから代表を選出し本戦という流れで,光栄なことにグループ代表として本戦へ出場することになりました.高校まで音声中心の英語学習にこだわってやってきたためか,発音が良かったらしく,英語部の先輩には「どこの国に留学していたのか?」と聞かれることがよくありました.レシテーション・コンテストでは,後にお世話になる松坂ヒロシ先生が審査員長をされていました.結果は4位に終わりました.

大学の授業で印象に残っているのはやはり英語音声学という授業でした.現在所属しているTALKという学会の設立者である田辺洋二先生が担当されていました(田辺先生は後に私が13年間働くことになる元勤務校の校長を勤められたこともありました).この頃から英語の発音のメカニズムを紐解いていくこの分野に本格的に興味を持ち始めました.また,同じ英語音声学・英語教育がご専門の石原明先生東後勝明先生松坂ヒロシ先生の授業も受講しました(名前をクリックすると過去のエントリーにジャンプします).この学科には,若い時分に長期海外滞在経験などがあまりないにも関わらず英語がとても上手な先生が多く,そのことがとても励みになりました.

大学3年の頃からThe Japan Timesの購読を始めました.3年のゼミで後の同僚となるF君に出会い,教えてもらった勉強方法が「英字新聞を毎日30分だけ読む」でした.英字新聞を継続して読んだ効果はあらわれ.TOEICも670→840→920と伸びていきました.詳しくは過去のこちらのエントリーをご覧ください.(英字新聞でTOEICを克服する方法①

また英語を実際に話す機会がどうしても欲しかったので,英語母語話者の友人をたくさん作ろうと考えました.あまりバイトもしてなく,親に負担もかけたくなかったので英会話学校などには行かずにタダで英会話をしてやろうと考えていました.留学生が集まる国際ラウンジのようなところに顔を出すようになり,そこで英語話者の牧師さん(pastors)たちが主催する聖書勉強会に参加するようになりました.私はクリスチャンではありませんでしたが,勉強会は全て英語で行われていたので英会話の勉強にもなりましたし,キリスト教や聖書のことも色々と学ぶことができました.

少人数制の塾でバイトもさせてもらいました.英語を中心に授業を担当させてもらっていたので,他人に教えることで知識が整理されていったような気がします.

その後,英語教育専攻の大学院へ進んだので,関連する英語の論文や書籍をたくさん読みました.当初は第2言語習得論などの研究者を目指していましたが,現場の経験を積みたいと思ってM2から教職科目を取り始め,3年かけて修了しました.卒業後は専任の英語科教諭として仕事を始めました.

英語教師になるまでの英語学習の歴史を色々と描いてみましたが,ここに書いてあるもの以外で他にやっていたこともあります(例えば,学生時代にTimeを購読した時期もありましたが,読むのが追いつかなくなっていました).書ききれないので割愛します.あまり計画性のない英語学習ですが,なんとか今までやってくることができました.その中でもきちんと続けていたことを以下に簡単にまとめてみることにします.

 

  • 学校英語
  • NHKラジオ講座
  • 英字新聞
  • 音読(音声教材のものまね)
  • 体当たり英会話

 

たくさん英語を読んできましたし,聞いてきました,そして話してきました.日本語でもそうなので当たり前なのかもしれませんが,書くのが一番少ないかもしれませんね.

何れにせよ英語学習にはかなり多くの時間を使ってきました.得られたものに関してはそれなりに満足していますが,公教育の場でこれらすべてを自分の生徒にやってほしいとは思っていません.それは,私が英語学習に費やしてきた時間は,いくらでも他に使うことができると考えているからです.人生で与えられた時間は限られているわけですし,安易に自分の体験を人に押し付けようとは思いません.何かのきっかけで英語を本気で頑張ってやろうと思った時に,ちょっとだけ他人の英語学習の軌跡をたどってみるのがいいような気がします.

日本人にとって英語は習得するのは難しい言語だと思っています.そんな難しい言語ですが,色々と工夫をこらしながら学んだり,教室で教えたりできる英語教師という仕事に魅力を感じ,今でも続けることができています.

こんなところで.


takeondo
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英語教師。学生時代に英語音声に魅了され、英語教師の道へ。とりわけ関心があるのは、英語のプロソディ(超分節音的側面)とよばれるリズム、イントネーションなど。英語朗読、英語落語にも興味があります。 Certificate of Proficiency in the Phonetics of English 2nd Class 趣味:囲碁(四段)、ランニング(ハーフ1時間30分/フル3時間40分)

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