現在もそうですが、学生時代は特に「国内で高い英語力を身につけた人たちがどのように英語を学んできたのか」ということを必死になって調べていた時期がありました。英語達人列伝①〜③でご紹介した先生方のルーツを辿ってみたところ、一人の存在にたどり着きました。
英語達人列伝もこれで4回目。今回は、私が実際にお会いすることのなかった伝説の英語教師についてお話しします。
五十嵐新次郎
五十嵐新次郎は、昭和の時代に活躍された英語教育者です(私が生まれる前に亡くなっている方なので「先生」という呼び方は避けたいと思います)。五十嵐新次郎については残念ながらそこまで多くの資料はのこっていませんが、松坂ヒロシ先生が「ある英語音声学者の規範:五十嵐新次郎が追求した正確さ」にまとめられているのでご覧ください。
経歴を見てすごいと思うのが、NHK国際放送の英語アナウンサーを務められていたことです。海外在住経験がないにもかかわらず英語のアナウンサーになったというのは、衝撃的なことです。
五十嵐新次郎が英語を話している音源は巷にはあまり残っていません(もしお持ちの方がいたら教えてください!飛んでいきます!)。私が唯一見つけることができたのが、亡くなられた後で先生のお弟子さんにあたる方々がまとめた『五十嵐新次郎先生を偲んで』という追悼記念文集に付属していたソノシート(薄いプラレコード盤)です。私の実家にはレコード再生機があったので、マニアだった私はそこからmp3の音源に変換したりしていました。40年前くらいの音源なので、かなり貴重なものです。ここでみなさんに公開してぜひ聞いていただきたいのですが、許可を取るすべを知らないので今は残念ながらできません。
一説によると、日系アメリカ人の俘虜アナウンサー、アイバ・トグリさんが「東京ローズ裁判」で裁かれた時、NHKで同僚だった五十嵐新次郎は証人としてアメリカの法廷まで足を運んだことがあったそうです。その時の証言はすべて通訳なしでおこない、現地の人々がそのあまりにも流暢な英語に驚き、メディアで取り上げられる(新聞で報道される)ということもあったそうです。
五十嵐新次郎はNHK国際放送で務めた後、早稲田大学で教鞭をとりました。前述の英語達人列伝で紹介した石原明先生、東後勝明先生、松坂ヒロシ先生は、みな五十嵐新次郎のお弟子さんにあたります。諸氏が学生時代に英語音声学の洗礼を受け、多大な影響を受けたのは、五十嵐新次郎からであったと言っても過言ではありません。
また、当時放送されていた『百万人の英語』に出演して人気を集め、ラジオやテレビなどでも大変活躍していた先生だったようです。生前、彼は「娯楽的教育・教育的娯楽」を掲げ、歯切れの良い話しぶりで、聴衆を魅了してきました。時代が異なっていたので直接接点がなかったことが悔やまれますが、このような方が戦前から戦後にかけて活躍していたことを考えると、英語教師として心が踊ります。
五十嵐新次郎の著作はいくつかありますが、私の手元にある数少ない著作のうちで、名著だと思う『英米発音新講』をあげておきます。廃盤なのでなかなか手に入りませんが、慧眼にあふれる一冊です。
※ 顔写真は著書の『毎日10分英語トレーニング』の表紙から拝借しました。
久保 岳夫 様
五十嵐新次郎先生のことを調べて居て、この記事に出会いました。記事では、先生には海外生活が無かったとありましたが、知らなかったです。小生は昭和39年早大第一文学部英文科卒で、五十嵐先生には1年間ですが音声学を教わりました。この時の先生の著作である音声学と言う教科書が行方不明に成ったことを悔いて居ます。英文科卒とは言っても、英語は喋れない、英語の文章は辞書と首っききで、よく卒業出来たと不思議な位です。だから学問としての英語では無く、先生のエピソードをお話したいと思います。先生は日本人では大阪弁が一番英語に近いと、或る日英語を大阪弁で喋って見せて呉れました。此れには驚くと同時に、如何に先生が英語を流暢に喋れるか分かった様な気がしました。又或る時は日本人が上手く英語を発音出来ない証として、生徒にティッシュペーパーを指で挟んで口元に近づけ”paper”と発音させました。ご自分でも遣って見せ、ティッシュが二度捲れ上がれば其れが正しい発音だと仰ったのです。不真面目な生徒だったので、お恥ずかしい話ですが、先生程上手く英語を喋る人は他に居なかったでしょう。早く亡くなって残念でした。
takeondo 様
お名前が分からず、ネットに出ていたままのお名前でコメントをお送りします。
小生は今「日本語」(仮題)と言う自作本を作成中でありまして、其の中で五十嵐新次郎先生の事を調べている内に、貴殿の記事を見付けました。松坂ヒロシ氏の資料も読みました。私は第一文学部(当時夜間の第二も有ったからです)英文科(1960~64)で、五十嵐先生の講義を2年間受けました。出来ない学生で、さぼり専門の学生でもありましたから、講義の内容は殆ど記憶に在りません。ただ、「paper」の発音を説明された時、チリ紙(当時ティッシュ・ペーパーは無かった)を指に挟んで口元に近付け発音して見せました。其の時、紙が二度捲れれば向こうの発音に近いが、紙が動かなければ其れが日本語英語だと説明されたのは覚えています。もう一つ、英語の発音に日本語で近いのは大阪弁だと仰って、大阪弁で英語を話して呉れました。”DanielJones”の分厚い、青い表紙の本が教科書だったと記憶して居ます。残念乍ら今や行方不明です。
目黒 俊作 様
コメントありがとうございます。久保岳夫と申します。学生時代,私は早稲田大学教育学部英語英文学科に所属しておりましたが,五十嵐新次郎氏のことは恩師であった東後勝明先生,石原明先生,松坂ヒロシ先生から教えていただいただきました。五十嵐氏が亡くなった際にゆかりのあった方々が『五十嵐新次郎先生を偲んで』という書籍を出版されました。また,以前に松坂ヒロシ先生は『ある英語音声学者の規範:五十嵐新次郎が追求した正確さ』という論文をお書きになられています(https://www.jstage.jst.go.jp/article/hisetjournal1986/23/0/23_1/_pdf/-char/ja)。お慕いしていた方々の恩師ということで私も五十嵐氏について興味を持つようになり,現在では五十嵐氏の肉声の音声記録を探していたりします。おそらく目黒さんがおっしゃっている当時のテキストはDaniel JonesのAn Outline of English Phoneticsだったのではないかと思われます。
貴重なお話を教えてくださりありがとうございました。大変ユーモアのある教え方をする先生だったと伺っています。私も調音音声学を通して英語の教授法を研究しておりますが,こうした方々からもヒントをもらいつつ教育実践に活かしたいと思っております。