今日は朗読家の青谷優子さんの英語朗読ワークショップに行ってきました。昨年の9月にセミナーに参加させてもらったことがあり、その際にワークショップの参加を勧めていただいたこともあって、今回の参加してみました。
青谷さんの講座でセミナーとワークショップの違いは、ワークショップのほうが人数が少ないので、個別指導をしていただけるということです。私も朗読作品を作ったりするまでになったので、よりレベルの高い指導を求めて参加させていただきました。
参加者が事前に決めた朗読素材をそれぞれ読んで発表するという形式もので、私は夏目漱石の『坊ちゃん』を選びました。最初に発表した時は、すごく緊張して読みが硬くなってしまいましたが、だんだん緊張がほぐれてリラックスして朗読ができるようになりました。普段から、生徒に他のクラスメートの前で発言をさせたり英語を読ませたりすることがあるのですが、人前でものを言わせるということは結構ハードルが高いことなのだなと再認識しました(e.g. 田尻悟郎先生は生徒に個別に英語を話させることの意義を強調されていますね)。
さて、朗読したのは以下の『坊ちゃん』の有名な最初の部分です。自宅で少し練習して臨んだのですが、一文が長いので息継ぎするタイミングが難しかったです。後は、スピードコントロールでしょうか。今聞いてももう少しメリハリをつけられればよかったなと思います。
Botchan
Natsume Soseki
Because of a hereditary recklessness, I have been playing always a losing game since my childhood. During my grammar school days, I was once laid up for about a week by jumping from the second story of the school building. Some may ask why I committed such a rash act. There was no particular reason for doing such a thing except I happened to be looking out into the yard from the second floor of the newly-built school house, when one of my classmates, joking, shouted at me; “Say, you big bluff, I’ll bet you can’t jump down from there! O, you chicken-heart, ha, ha!” So I jumped down. The janitor of the school had to carry me home on his back, and when my father saw me, he yelled derisively, “What a fellow you are to go and get your bones dislocated by jumping only from a second story!”
“I’ll see I don’t get dislocated next time,” I answered.
One of my relatives once presented me with a pen-knife. I was showing it to my friends, reflecting its pretty blades against the rays of the sun, when one of them chimed in that the blades gleamed all right, but seemed rather dull for cutting with.
“Rather dull? See if they don’t cut!” I retorted.
“Cut your finger, then,” he challenged. And with “Finger nothing! Here goes!” I cut my thumb slant-wise. Fortunately the knife was small and the bone of the thumb hard enough, so the thumb is still there, but the scar will be there until my death.
(translated by Yasotaro Mohri, edited by J. R. Kennedy)
緊張がほぐれて挑んだ2回目の発表の後にいただいた講評で、はっとしたことがありました。「情報のウエイト」を意識したコメントをいただいたことです。
上の原稿で赤になっているsecondは計3回登場しています。この3つのsecondはそれぞれ「情報のウエイト」つまり「重さ」が異なります。言語学の下位分野である語用論(pragmatics)では、「新情報」か「旧情報」かということを区別します。新情報のものはしっかり発音して、旧情報のものはしっかり発音しない(しなくてもいい)ということが言われることがあります。上のsecondの例で言えば、最初の2つのsecondのうち前者が新情報で、後者が旧情報ということになります。私はこの2回目に出てくるsecondをしっかり読み過ぎていたことを指摘していただきました。
「坊ちゃんが幼い頃に2階から飛び降りた」という情報を伝えているのは最初のsecondが入っている文ですが、2回目のsecondの使われ方は、「学校の2階から庭を眺めていたら…」という文脈で使われています。聞き手はすでに「2階」という情報はわかっていますから、この2回目のsecondはそんなにしっかり読んじゃだめなんですね。まあ、しっかり読んでもいいのかもしれませんが、美しくないんですね。ちょっと重い…というかオーセンティックではない。
3回目のsecondは旧情報かというと、旧情報ではあるのですが、このお父さんは、息子が2階から落ちたくらいで怪我をしてしまったのか(3階、4階ならともかく…)、と嘆いているわけですからここのsecondはフォーカスが当てられているわけです。
という具合に、同じ単語でもコンテクストに応じて「情報のウエイト」は変わってくるんですね。語用論における談話分析(discourse analysis)でも、こうしたことはよく語られると思いますが、自分の朗読に置き換えてやってみると、抜けているところもなかなか多くて難しいなと感じました。ちなみに、青色のbladesも2回登場しますが、新情報、旧情報で解決できますね。
情報のウエイトに応じて音声レベルでメリハリつけることは、母語話者なら日常会話で無意識にやっていると思います。私は英語母語話者ではありませんが、実際に人と英語で話している時のほうが、こうした音声レベルのメリハリは自然につけられます。朗読では「読もう」という意識が働きすぎてしまうためか、そうした細かい配慮を時に忘れてしまうことがあります(以前に書いた「聞き手に配慮する英語」もご参考までにご覧ください)。常に具体的な情景を頭の中に描きながら読まないといけないのだなと再認識することができました。
はじめてワークショップは参加させていただきましたが、大変有意義な時間を過ごすことができました。ちなみに青谷さん関係のサイトのリンクを以下に貼り付けておきますので、ぜひご覧ください。
青谷優子の読むということ(ブログ)
青谷さんのイベント・セミナー(こくちーず)
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