先日、所属しているTALK(田辺英語教育研究会)の月例研究会に参加してきました。TALKは学生の頃にお世話になった松坂ヒロシ先生が会長をやられている研究会(学会)で、毎月の定例研究会、夏の勉強合宿など、機関誌 Dialogueの発行など、初代会長の故田辺洋二先生や松坂先生の元で学んだ英語の先生が構成員となって活動しています。10月の研究会は「翻訳の楽しさ」というタイトルでした。
講師は東京理科大学の浅利庸子先生。浅利先生は英語と日本語のバイリンガル。ご本人曰く、英語のほうが得意だとのこと。4月から解説を執筆されている『英語で読む村上春樹』よりいくつかの作品を紹介しながら日→英翻訳の際の注意点などを楽しく解説してくださいました。全体的な感想としては、「非常にレベルの高い英語のお勉強」という感じで、たいへん勉強になりました。
使用した題材は『4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて』(英題:On Seeing The 100 % Perfect Girl on One Beautiful April Morning)と『緑色の獣』(英題:The Little Green Monster)でした(訳者はどちらもJay Rubin)。約2時間の勉強会で、最初に浅利先生が作品を朗読してくださり、その後にパワーポイントで具体例を示しながら、訳者が日英翻訳する際に配慮していることを紹介してくださいました。
前者については、以前とある朗読会で聞いた事があり、すごくいいなぁと思っていた作品でよく理解できました。後者は私の英語力が足りないこともあってか、一度朗読を聞いただけでは理解力が追いつきませんでした。『4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて』は個人的にとても好きな作品なので、今回の勉強会はすごく楽しみにしていました。以下に『4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて』の冒頭の部分の日・英を引用します。私の英語朗読も添付しておきます。
(BGMは「NHKクリエイティブライブラリー」より)
One beautiful April morning, on a narrow side street in Tokyo’s fashionable Harujuku neighborhood, I walked past the 100% perfect girl.
Tell you the truth, she’s not that good-looking. She doesn’t stand out in any way. Her clothes are nothing special. The back of her hair is still bent out of shape from sleep. She isn’t young, either – must be near thirty, not even close to a “girl,” properly speaking. But still, I know from fifty yards away: She’s the 100% perfect girl for me. The moment I see her, there’s a rumbling in my chest, and my mouth is as dry as a desert.(from On Seeing The 100 % Perfect Girl on One Beautiful April Morning: written by Haruki Murakami, Translated by Jay Rubin)
四月のある晴れた朝、原宿の裏通りで僕は100パーセントの女 の子とすれ違う。
たいして綺麗な女の子ではない。素敵な服を着ているわけでも ない。髪の後ろの方には寝ぐせがついたままだし、歳だっておそら くもう三十に近いはずだ。しかし五十メートルも先から僕にはちゃ んとわかっていた。彼女は僕にとっての100パーセントの女の子なの だ。彼女の姿を目にした瞬間から僕の胸は不規則に震え、口の中は 砂漠みたいにカラカラに乾いてしまう。(村上春樹『4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて』より)
なんだか英語で読んでみると素敵な冒頭だと思いませんか?私が初めて村上春樹の作品に触れたのは『ノルウェーの森』の英訳(こちらもJay Rubin訳)だったのですが、その時も同じような印象を受けました。さて、赤のハイライト部分ですが、研究会で話題になったので、ご紹介します。
- 「原宿の裏通り」→ a narrow side street in Tokyo’s fashionable Harajuku
- 「五十メートルも先から」→ from fifty yards away
「原宿の裏通り」と言えば、「裏原」という言葉があるので、参加者から単にa narrow side streetでは不十分なのではという意見がありました。しかし、現代の若者がイメージするようないわゆる「裏原」の文化ができたのは90年代初頭あたりから。本作品が書かれたのは81年なので、その頃は現在の「裏原」をイメージさせるような文化はなかったであろうということで、a narrow side streetのままでいいんじゃないのか、みたいな結論になりました。
浅利先生がおっしゃっていたのは、fashionable Harajukuの部分。Jay Rubinさんの訳では、こうしたHarajukuなどの地名の前に形容詞をつけることが多いようで(初出の場合)、忘れてしまいましたが、RoppongiやAoyamaのような地名の前にも「日本人がイメージする街のイメージ」に合った形容詞をつけることが多いのだそうです。なるほどなという感じで聞いておりました。
次に、距離などの単位に関する問題があります。「50メートル」が「50ヤード」に変換されています。「五十メートルも先から」という表現を聞いて、この「50m」という長さに厳密であるべきかどうかは文脈を見て判断をしなければいけないという話になりました。そもそも、1メートル100センチに対して、1ヤードも91.44センチなので、たいした誤差はありませんが、本作品では欧米でより馴染みのあるヤードを採用することのほうが、長さの単位にこだわることよりもずっと「優先順位が高い」と判断されています。
「文化的に馴染みのある表現」のほうが「正確さ」よりも優先されることがあるというのは、次の『緑色の獣』の例からも示していただきました。
庭の中にあるいろんなものの中でも、私はとくに一本の椎の木を眺めていた。
Of all the many things in the garden, the one I looked at most was the oak tree.
(村上春樹『緑色の獣』より/from The Little Green Monster: written by Haruki Murakami, translated by Jay Rubin)
「椎(しい)」は英語でchinquapin[ˈtʃɪnkəˌpɪn]と言うそうです。私も聞いた事がありませんし、欧米人でもなかなか親しみのある木の名前ではないようです。それで、oak treeになっているというわけです。たしかに、日本語の「椎」は2音節(厳密には「2モーラ」)ですし、大和言葉だということもわかります。つまり、中国から輸入された言葉ではなく昔から日本語にあった言葉ということです。よく考えてみると、日本語には「しい」、「かし」、「なら」、「ぶな」など2音節(2モーラ)の木の名前が多いですよね。それほど豊富な種類の木が日本人の生活と親しいものになっていたのでしょう。日本の小説でこういう木の名前がさらっと登場してきてそれを翻訳をする時には、木の種類の正確さなどは優先させなくてもいいことが多いようです。
この研究会に参加してみて、「翻訳っておもしろいなぁ」と純粋に感じました。浅利先生は英語の母語話者なので、「どうしてこういう訳になるのか」をいろいろな例文と直感的なナラティブで語ってくれました。非母語話者として少しでもそういう領域に近づきたいと思いつつ、自分も日→英翻訳をもっとやってみたいと思うようになりました。うーん、日→英翻訳っておもしろい!
翻訳についてはまたブログに載せようと思っています。今日のところはここまで。
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