学生時代の思い出:松坂ヒロシ先生最終講義に参加してきました


昨日は早大で行われた松坂ヒロシ先生の最終講義に参加してきました.

 

松坂先生についてはこちら(英語達人列伝① 松坂ヒロシ先生)でも書かせてもらいましたが,学生の頃から大きな目標とし,また大変お世話になっている先生です.松坂先生に初めて出会ったのは,大学1年次の英文法の授業だったことは以前の記事でも触れた通りですが,第一印象は「まじめそうな先生だな」というものでした.すでに授業などで仲良くなっていた友人たちとは「なんだか英語科の先生というよりも社会科の先生みたいだなぁ」などとささやき合っていました.先に述べた通り,授業はすべて英語で行われていたのですが,今回の最終講義もまた英語で行われました.タイトルはLearning Phonetics from Learners.「学生の発音の間違いから教えられたこと」を具体例を参照しながらお話しされていました.学生に対して誠実な先生らしい内容で,いろいろと過去の思いにふけりました.

 

早稲田大学教育学部英語英文学科に入学したばかりの頃,たしか学科の説明会が終わったすぐ後だったと思いますが,教室に早大英語部(WESA:Waseda English Speaking Association)の人たちが何人か入ってきて,いきなり別の建物に移動させれました.入学したばかりの私たちは何が何だかわからないまま,言われるがままに案内された場所へ列をなして移動しました.今から考えると,ずいぶん強引に勧誘をするのだなぁと思ったのですが,それがきっかけで友人2人でWESAに仮入部することになりました.

 

WESAでは新入生にリンカーン大統領(Abraham Lincoln)の「ゲティスバーグの演説(Gettysburg Address)」を暗唱させて,部内で競わせるというイベントを毎年やっており,私もチームの代表として選ばれて本戦に行くことになりました.高校生の頃から英文を音読をする習慣がついていて高校2年からNHKのラジオ講座を3つも聞いていたので,こういうことには少し自信があったので,先輩に強く薦められ代表に選ばれた時はとてもうれしかったのを覚えています.

 

本戦に向けて,先輩からモデル音声が収録されたテープを貸してもらいました.いろいろな方が読み上げたGettysburg Addressが収録されており,中にはかなり古い音声ものもありました.その時の先輩曰く,過去のWESAの先輩の方々だったらしいのですが,松坂先生や石原明先生(石原先生についてはこちらを参照)が録音されたものも収録されていました.こうした録音を元に本戦へ向けて準備をしました.

 

本戦当日,スーツにネクタイを決めて,会場へ行きました.暗唱が始まる前,数名の審査員が厳かに入場してきました.審査員のひとりはなんと松坂先生で,いつもの授業の先生とは違ってかなり険しい表情で入場されていました.それもあってか余計に緊張が増したのを覚えています.

 

自分の順番が来るまでに,数名のパフォーマンスを聞くことができ,「よし,これならいけるんじゃないか」という思いが増し,気持ちよく本番を迎えました.事前に先輩に教えてもらったように,”Mr. Chairperson, Honoralble Judges and ladies and gentlemen.”と言って暗唱を始めました.けれども,前を見ると審査員の松坂先生は厳しい表情で私のパフォーマンスを眺めていらっしゃいました.

 

結果は4位.本当に恥ずかしいのですが,下馬評として私が優勝するのではないか,といろいろな先輩に言われていたこともあり「自分は1位になれるんじゃないか」などと思っていただけに,かなりがっかりしてしまいました.何がいけなかったのだろう,と反芻.

 

講評で審査員の松坂先生が「この演説は大きな被害があった戦地で行われ,追悼の意味を込めたものであり,そういった内容をよく吟味した上で暗唱にのぞんでもらいたかった」というようなことを英語でおっしゃいました.私は,本番までお手本の音声をよく聞き,いろいろな読み方を詳細に分析して自分の身体に叩き込むことには時間をかけましたが,肝心な内容の吟味まではあまりできていませんでした.とりあえずなんでも英文を声に出すことが英語学習で大切だと思っていた私にとって,当たり前のことですが大切なことが抜け落ちており,その点を松坂先生に指摘していただきました.WESAは仮入部だけでその後は辞めてしまいましたが,このGettyburg Addressは今でも時々忘れないように口ずさんでいます(→こちら).

 

それから大学3年になって,松坂先生のゼミを選びました.先生のゼミはとても人気で,選抜試験が行わていました.私の時は,ゼミの希望者達が先生の研究室に呼ばれて一対一の簡単なスピーキングテストを課されていました.これは,先生のゼミはすべて英語で行われるため,ある一定の基準を満たしていないとついていくことが困難であるだろうからだと推測していますが,妥当な選抜試験だったと思っています.私たちに課されたのは英検2次試験のおうなPicture Descriptionのタスクでした.松坂先生は絵を描くのがとてもお上手なので,たしかその時も先生が描かれた絵を見せられて,30秒間眺めた後で「できるだけ多くのことを英語で描写せよ」というタスクだったかと思います.幸い合格することができ,ゼミに入れてもらいました.

 

当時の松坂ゼミには,英語教師を目指している学生や純粋にスピーキング力を磨きたい学生など,様々な人がいました.この当時,私は教員になることは考えていませんでしたが,純粋に英語を聞いたり話したりする機会が与えられたことに喜びを感じていました.ゼミ生には,後に院進し,最終的に現在の勤務校で同僚となったF君(現在は大学教員)や都内でも有名な私学へ進んだ人など優秀な友人が多くいました.

 

前述のようにゼミはすべて英語で行われ,英語を話す機会に飢えていた私も非常に充実した1年間を過ごすことができました.毎週または隔週だったかは忘れましたが,ゼミ生にはDiscovery Reportというものが課されていました.このレポートは,ゼミ生各々が日々の英語学習の中で新たに学んだ語彙や表現を紹介する,というものでした.OHPでゼミ生のDiscovery Reportを紹介して,先生がコメントしてくださったのを覚えています.

 

また,松坂ゼミでは,グループに分かれて「英語教育番組を作成せよ!」という大きなプロジェクトがありました.私たちのグループはwell / you know / let me seeなどの「つなぎ言葉」に焦点を当てた番組を作りました.前述のF君が統括兼司会,私はスクリプト作成とモデル発音提示という役割でした.カメラを持ってキャンパスを駆け回りました.F君にはビデオ編集を徹夜でやってもらいました(SonyのVaioを使ってやってもらいましたが,当時のビデオ編集作業は今よりもかなり大変だったと思います).NHKの語学番組のようなものができあがり,首をかしげるような内容もいくつかありましたが,このビデオは今も大切にとってあります.

 

その後,院進し最終的に英語教師になりましたが,しばらくは部活や校務なども忙しかったため研究会などから離れていました.数年前に一年発起し,いくつかの研究会や学会で勉強させてもらっています(このブログを始めたのもこの頃でしょうか).松坂先生には,その中のひとつであるTALK(田辺英語教育学研究会)でとりわけお世話になっています.

 

1月26日にKLA(駒場言葉研究会)とTALK共催の合同研究発表会がありますが,そちらで”Choosing Pronunciation Norms on Universal Design Principles”と題したご講演をされるようです.以前にこのUniversal Designの概要を説明していただいた機会があるのですが,よくまとまっておりすごくいい考えだと思いました.「World Englishesなんだから発音なんでなんでもいいじゃないか」みたいなことを言う英語の先生を時々見かけますが,教壇に立って教える以上は基準(norm)は必要だと思っています.

 

最終講義には200名以上の人が集まり,改めて先生の影響力は大きさに驚きました.教え子としては,早稲田大学の教壇に松坂先生がいらっしゃらないと思うと寂しい思いがありますが,今まで松坂先生から教わったことをこれからも現場でいかしていきたいと思います.

 

2019年1月14日(月)加筆訂正

 

 

 

 

 

 


takeondo
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英語教師。学生時代に英語音声に魅了され、英語教師の道へ。とりわけ関心があるのは、英語のプロソディ(超分節音的側面)とよばれるリズム、イントネーションなど。英語朗読、英語落語にも興味があります。 Certificate of Proficiency in the Phonetics of English 2nd Class 趣味:囲碁(四段)、ランニング(ハーフ1時間30分/フル3時間40分)

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